2026年に問い直す『はだしのゲン』——差別と戦火を越えて絆を結んだ「朴さん」の記憶が、分断の時代に語りかけるもの
朴 さん は だし の ゲンという不朽の名作において、過酷な時代を象徴する極めて重要な存在として、今なお読者の心に強く残り続けている。被爆80年の節目を越えた2026年、世界各地で排外主義や緊張が高まるなか、中沢啓治氏が命を削って描いたこの作品の根底にある「人間尊重の姿勢」が、新たな角度から脚光を浴びている。国家の暴走と戦争の狂気が一般市民を飲み込んでいく過程で、ゲンの一家と朝鮮人青年・朴さん(パクさん)が結んだ深い友情は、単なるフィクションを超えた歴史の真実を語っているのだ。
戦時中の日本社会では、在日朝鮮人に対する偏見と日常的な差別が苛烈を極めていた。しかしゲンの父・大吉は周囲の非難に屈することなく「人間はみな同じだ」という信念を貫き通した。平和学習のあり方が再議論される昨今、朴 さん は だし の ゲンの中で果たす人間的連帯の役割は、平和教育の核として再評価の機運が高まっている。過酷な飢えに苦しむゲンたちに朴さんが命がけで米を分け与える場面は、人間性が試される極限状態における希望の光そのものであった。
時代を超えて胸を打つ「朴さん」という存在の真実

中沢啓治氏の名作『はだしのゲン』に登場する朴さん(パクさん)は、主人公・中岡ゲンの近所に住む朝鮮人青年である。戦時下の日本において、在日朝鮮人は「非国民」以上の不当な視線に晒され、憲兵や警察、近所の人々から常に監視と差別の対象とされていた。作中で描かれる朴さんも例外ではなく、理不尽な侮辱を受け、息をひそめるように暮らすことを余輿なくされていた。
だが、ゲンの父・大吉だけは違った。大吉は国家の偏狭なナショナリズムを真っ向から否定し、朴さんを対等なひとりの人間として、家族同然に接した。朴さんはその恩義を胸に刻み、大吉が非国民として逮捕された際や、一家が食糧難で倒れそうになったとき、自らの危険を顧みず手を差し伸べた。この双方向の信頼関係こそが、過酷な時代を描いた作品の中で一筋の光として輝いている。
差別と抑圧の嵐の中で育まれた、国境なき人間愛

戦時中の狂気が渦巻く中、他者を思いやる心を持ち続けることがどれほど困難だったか。朴さんと中岡家の交流は、美辞麗句では片付けられない壮絶な現実の上に成り立っていた。憲兵の目を盗み、貴重な白米を抱えてゲンの家を訪れる朴さんの姿。そこにあったのは、哀れみや施しではなく、命を共有する者の誠実な義務感だった。
大吉が貫いた「戦争反対」と「民族差別の否定」は、当時の社会においては死に直結しかねない危険な思想だった。しかし、その思想が理屈ではなく日常の行動として朴さんに伝わり、朴さんもまた命懸けの恩返しでそれに応えた。二人の間に通い合っていたのは、国家や制度によって分断される前の、剥き出しの人間愛にほかならない。
2026年の今、なぜ教材削除問題から再評価へと向かうのか

数年前、一部の自治体教育委員会が平和学習教材から『はだしのゲン』の掲載部分を削除・変更したニュースは、日本中に大きな議論を巻き起こした。「浪曲」や「鯉を盗む場面」などが時代にそぐわないという理由が表向きには掲げられたが、多くの研究者や教育者は、作品が持つ強烈な反戦意識と加害・被害のリアルな描写を遠ざける動きではないかと懸念を示した。
しかし2026年現在、草の根の教育現場や市民運動を中心に、作品の全編を再び読み直そうとする揺り戻しが起きている。特に朴さんのエピソードは、単に被爆の惨状を伝えるだけでなく、戦時下の日本国内に存在した構造的差別を直視させる教材として、その価値が再発見されているのだ。歴史の陰影を覆い隠すのではなく、正視することの大切さを朴さんの物語は静かに語っている。
在日コリアン被爆者の歴史的記憶と『はだしのゲン』の果たす役割
広島と長崎の原爆被害を語る際、長らく見落とされがちだったのが数十万人規模に及ぶとされる在日朝鮮人被爆者の存在である。強制連行や生活困窮によって渡日し、爆心地近くで被災した彼らは、戦後も二重三重の苦しみに苛まれた。医療支援からの疎外や民族的差別に苦しみながら、声を上げることすら難しかった歴史がある。
中沢啓治氏が1970年代から『はだしのゲン』の中で朴さんというキャラクターを堂々と描き切った意義は計り知れない。戦後の日本漫画界において、被爆者の中のマイノリティに焦点を当て、彼らの苦悩と人間的気高さを世に知らしめた先駆的作品であった。朴さんの存在は、ヒロシマの記憶が単一の国民的物語に収斂されるのを防ぐ、重要な楔(くさび)となっている。
グローバル時代における『はだしのゲン』と海外展開の最前線
『はだしのゲン』はこれまで20カ国語以上に翻訳され、世界中の読者に読み継がれてきた。とりわけ韓国語訳の出版や欧米でのグラフィックノベルとしての評価の高まりにおいて、朴さんのエピソードは海外の読者に強い衝撃を与えている。歴史の加害と被害が複雑に交錯する東アジアにおいて、この作品が提示した共生の姿は、和解に向けた普遍的な対話の窓口となっている。
SNSやデジタルメディアを通じた作品の拡散が進む2026年、若年層の海外読者からは「戦争の悲劇だけでなく、人種差別と戦う市民の姿が描かれている点に深い共感を覚える」という声が相次ぐ。朴さんと大吉の絆は、地域や時代の文脈を超えて、今やグローバルな人権意識のテキストとして読まれているのだ。
次世代へ引き継ぐ「朴さん」のメッセージと未来への道しるべ
私たちが『はだしのゲン』を開くとき、そこに描かれているのは過ぎ去った昭和の凄惨な日常だけではない。他者を「敵」か「味方」か、あるいは「自国民」か「外国人」かで区別し、排斥しようとする人間の弱さは、形を変えて今も私たちの社会に潜んでいる。朴さんが見せた笑顔と涙、そしてゲンたちに見せた温かな手は、そうした愚かさに抗うための強力な武器だ。
時代がどれほど移り変わろうとも、過酷な試練の中で試されるのは常に「個人の人間性」である。朴さんという一人の青年が残した足跡は、分断が深化する2026年の世界において、私たちが隣人とどう向き合うべきかという問いに対し、時代を超えた明確な解答を示し続けている。 (出典: 朴 さん は だし の ゲン(Yahoo!ニュース))